Savon Du Ghar
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石鹸誕生の地のアレッポの古城
誰も書かなかった「石鹸誕生物語」
アジア、ヨーロッパ、そしてアフリカと三大陸の接点に位置するシリア。
歴史によれば一世紀にはもう古都アレッポに小さな石鹸工場が軒を連ねていたと言う。
それでも何時、何処で、石鹸誕生について詳しく記された文献はどこにもありません。
第一、いかにこの辺りがメソポタミア文明発祥の地とは言え三千年以上もの昔に石鹸の原料に不可欠な苛性ソーダが存在したとは信じがたい。
それでも原産国シリアに生活するうちにある一つの仮説が浮かんできたのでお話しすることにしましょう。
起源を遥かに溯ったシリア。 泥と石ころだけが延々と続く荒涼とした大地にへばり付くように生えた草やとげだらけの潅木の枯れ枝を羊やヤギの餌として求め移動しながら暮らす遊牧民ベドウィンは「誰の束縛も受けることなく、風と神と共に自由に大地をいく」を誇りに生きる民族です。
羊とともに歩き回る暮らし。
一日の終わり、夕食後のひと時はカマドの焚き火を囲んで長老たちの話に耳を傾ける。
焚き火の側には食用、薬用、ランプの燃料と生活に欠かせないオリーブのオイルが油壺に入れて置かれています。
アレッポ原産と言われるオリーブは、紀元前16世紀に栄えたヒッタイトの粘土板に彫られた楔形文字にも年毎のオリーブ作付面積が解読されている、実に3.600年も昔のことです。
焚き火の消えるのが一日の終わりを告げ、飲み残したお茶で火の燻りを消して眠りにつきます。
火が消された後もカマドの周りを遊び足りない子供がはしゃぎ、ついには油壺を蹴飛ばしたのか水気を含んだ灰の上にオリーブ油が流れ出て・・・・。
翌朝、女たちがカマドにいくと、見たことのない、まるでヤギの乳で作るチーズにも似た白い物体が焚き火を覆っていました。
気味の悪い物体にコミュニティは大騒ぎ。 とうとう一人が触ってみることになるのですが、なんとも言えない初めての感触に驚き、大慌てで砂漠では何より貴重な水で洗い流そうとすると、もっと驚いた事に手からブクブクと泡が! 恐怖におびえ、もうとにかく洗い流すと、砂漠生活で長年汚れていた自分の手のひらがすっかりきれいな元の肌となって現れた。
これが石鹸誕生の仮説です。
しかし苛性ソーダの問題はまだ謎のまま。
一日が終わろうとする砂漠の夕暮れは特に美しい 焚き火を囲んで団欒のベドウィン
化学薬品のイメージが強い苛性ソーダですが、石灰を燃焼させれば天然の苛性ソーダになります。
シリアの泥と石ころばかりの砂漠は、実は多量の石灰を含んだ大地でした。
焚き火の下の土が何度も焼かれるうちにいつしか良質の苛性ソーダに変質し、そこへ水と油が加わって・・・。 地上でもまれな環境であるシリアの大地だからこそ偶然から誕生した石鹸。
初めは恐怖におののいた泡が、顔や体の汚れを落とし、砂や風で荒れた肌に潤いまで取り戻したとの信じがたい話が瞬く間に部族から部族知れわたり石鹸はつくられるようになっていきます。 そして、部族ごとにつくっていた石鹸もいつしか工場生産へと移行し数千年のときを経てシリアの特産品として歴史を紡いでいくことになりました。

円筒に積まれた石鹸の天然乾燥 風と砂の中で出会った思いもよらぬほど美しいベドウィンの姉妹
石鹸誕生の話はどんな文献にも残されておらず、あくまでも仮説に過ぎません。
しかし、アレッポにはいまも石鹸通りと呼ばれる一角が古都のスーク(バザール)の大きな位置をしめ、異国からシリアを訪れる旅行者は必ずといっていいほどここを訪れます。
1世紀にはもうキニンスリーと呼ばれるあたりに工場が立ち並び、駱駝の背に山のように積まれた石鹸が絹や香料と一緒にシルクロードを西へ東へと商われて行ったようなのです。
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