Savon Du Ghar
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パルミラと女帝ゼノビア
ドイツの地理学者リヒトホーフェンが命名したシルク・ロード。
一般的に言えば、「中央アジアのオアシス」都市をを結んで通る古代の東西交通路である。
中でも、東洋の数ある産物を代表する中国産の絹が、遙かかなたのローマにおいても絶大なる人気をはくし最も多量に運ばれた、即ち絹の道である。 中国の華北から、天山北路・南路を経て西トルキスタン、イラン高原から地中海東岸、シリアのラタキア港に通ずる遙か一筋の道、それがシルク・ロードと呼ばれた。
長く過酷だったキャラバンの終わりを告げる最後の隊商都市、ラタキア港までは、長旅で疲れ切った駱駝の足でも、あと五日もすれば夕暮れには黄金色に輝く美しい地中海の港に無事たどり着ける歓喜の地、そこが中央シリアの砂漠に忽然としてそびえる現地名テドモール、棗椰子の里として名高い隊商都市パルミラである。
神のなせる悪戯か、荒涼のシリア砂漠のほぼ中央に、海の如くに広がる鬱蒼とした棗椰子の樹海は、こんこんと湧き出る温泉の河を挟んで茂り、まるでその樹海に平行するかのように今は骨組みだけに化した巨大なる大理石の列柱だけが茫々として、あるは整然として立ち並ぶ。
商隊都市として栄えた此処パルミラの本来の役割は、ローマ帝国の最東に位置し、東からの敵に 対する守りの要となる要塞であつた。 紀元前一世紀に造られた此処パルミラは、後,AC273年に滅びるまでのおよそ300年を、砂漠の花として、とうてい信じがたいほど世界中の顔が溢れていたと伝えられる。
その華やかな歴史の中で最も君臨した者が"彼のクレオパトラより尚美しい" の折り紙付きの 美しさを恣にした女帝ゼノビアであつた。
数あるゼノビアの逸話の中でも、歴史上つとに有名な話が史実として残されている。
毎夜、オリーブの石鹸で洗うゼノビアの髪は月の光に怪しげに見えるほどに輝き放ち、ローマから パルミラを訪れた皇帝アウレリュウスは一目にしてゼノビアの虜になつた。 この者こそが、ローマを支配する自分に最も相応しい妃と、恋に狂ったのである。 愛しいが故に全てに寛大なる振る舞いを見せる皇帝を、何時しか軽んじたゼノビアは、パルミラを ローマ帝国からの独立を企てたが、そのもくろみも見事失敗に終わり、愛しいが故に憎さ百倍のアウレリュウスは、完膚無きまでに砂漠の都パルミラを破壊しつくした。
囚われの身となったゼノビアは、それでも美しさと気高さを失うことはなかつた。
そのあまりの美しさに敬意を払わずにはおられなかった皇帝は、ゼノビアを黄金の鎖に繋がせ、ローマ市中に三日もの間さらしたと残されている。
現在、世界一美しい遺跡と称えられる此処パルミラ。 その最盛期を飾ったのも世界で一番美しいと称えられた一人の女であつたのも、何かの因縁だったのだろうか。
西暦2001年。悠久の時を越えてきたパルミラに立ち並ぶ石の列柱は、背後の山を吹き下ろす風を、あたかも大地の息吹とでもするかの様にヒュウヒュウと、かつて、この地に厳然として存在した栄枯盛衰だけを今に語り続けているかの様だ。
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